おおいしだものがたり 第三話 松尾芭蕉の来町と最上川
更新日:2016年3月25日
松尾芭蕉の来町
今から311年前の元禄2年(1689年)5月28日(現在の暦では7月14日)に、漂泊の俳人松尾芭蕉が門人曽良を伴って大石田を訪れました。そして、地元の俳人高野一栄宅に3泊し、その間に芭蕉主従と大石田の俳人一栄と高桑川水の4人で句会を催し、6月1日に新庄に向かいました。後に芭蕉がその旅の紀行文としてつづったのが、有名な「おくのほそ道」です。
芭薫は、大石田に杖をとどめ3泊したが、それは、高野一栄と高桑川水が芭蕉が当時めざしていた新しい俳諧(後に「蕉風俳諧」と呼ばれました)にとりわけ熱心であったからと考えられています。当初の予定では、大石田は、最上川を船で下る通過地でした。その芭蕉を大石田にとどめた2人は、直接、懇ろに芭蕉から俳諧の指導を受けました。その記念として芭蕉から大石田の一栄に残されたのが、現在山形県指定文化財となっている歌仙「さみだれを」の1巻です。
さみだれをあつめてすゞしもがみ川 芭蕉
この発句で始まる歌仙「さみだれを」は、芭蕉が自ら筆をとり、曾良・一栄・川水と四人でまいた歌仙です。この歌仙について、山形県指定文化財として指定した調書によれば、「芭蕉の元禄初頭期を代表する筆跡として淋漓たる墨痕は、漲り流れる最上川を表現する」とあり、「おくのほそ道」の中で、芭蕉直筆の歌仙として価値の高い作品として有名です。
その巻末には
最上川のほとり一栄子
宅におゐて興行
芭草庵桃青書
元禄二年仲夏末
と記されています。
歌仙「さみだれ」連句碑(平成元年芭蕉滞在の地に建立つ)
大石田の俳人と芭蕉との出会いは、芭蕉にとっても思い出深い地となったとみえ、「おくのほそ道」本文の中で「このたびの風流ここに至れり」と、みちのくの旅の風雅の一つの頂点ともいえる芭蕉の感動が伝わってくるようです。
なお、芭蕉らは黒滝向川寺へ最上川を渡船して参詣しています。芭蕉が初めて最上川で舟に乗った場所がここ大石田であったわけです。
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