おおいしだものがたり 第五話 交通手段として注目された最上川 古代の水駅「野後」
更新日:2016年3月25日
1.歌枕としての最上川
最上川が詠まれた最初の和歌は、今から1087年ほど前の延喜13年(913年)ごろに成立したとされる「古今和歌集」巻二十「東歌」に「みちのくうた」のひとつとして収められた「最上河のぼれば下る稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」です。歌枕としての「最上川」は「稲舟」に関連し、古代の人々が和歌を詠む時に、最上川は昔から川舟を利用して荷物を運んだ川として公家や都人の常識であったことがわかります。歴史的に見ると、最上川を川船を利用して人や物資を運搬することは、部分的に古代からありました。最上川舟運が、大規模に行われるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
駒籠楯遺跡(奥に土盛が見える)
2.最上川船運のはじまり
最上川舟運が、記録に初めて出てくるのは平安時代です。今から1121年前の元慶3年(879年)に、秋田地方の住民たちが反乱を起こした「元慶の乱」の際に、出羽の国司である藤原保則が最上郡の道路が険しいため、軍隊を最上川の舟で運んだことが記されています。このことにより、最上川には軍隊を運べるほど舟があったこと、そして最上郡での政情不安により、軍道として用いられていたことがわかります。
軍道としての最上川については、今から1073年前の延長5年(927年)に整備された「延喜式」という律令の施行細則の中の「兵部式」、つまり軍事に関する部分に「諸国駅伝馬条」があり、この中に最上川の舟運に関する事が出てきます。
「諸国駅伝馬条」の出羽国の分は、次のようになっています。
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