おおいしだものがたり 第百二十七話 「最上川舟運の話」 その41.川船方役所の実務概要(1)
更新日:2016年3月25日
江戸幕府が直接最上川舟運を取り仕切る「直差配」に乗り出したのが寛政4年(1792年)のことである。その「直差配」の実務を行うために設けた役所が「川船方役所」である。この川船方役所では実際どんな仕事をしていたのでしょうか。
船役所の下役人として勤務していた神部鉄五郎が、嘉永4年(1851年)に筆写した川船方役所の実務概要である『手控』(神部家文書)が残されている。それに依って実務32項目の内容を知ることが出来る。
(『大石田町立歴史民俗資料館史料集 第九集』)
1.最上川通りの安全管理をする。
最上川通りの左岸・右岸両岸の村々名主に対し安全管理の徹底を絶えず指示し、現場を監督する。
- 漁猟のため川中に小屋をかけないこと。
- 徊場といって、川中へ石を築かないこと。
- 鳥捕らえ用のわなを川辺に仕掛けて置かないこと。
- 川岸に永々と舟を繋ぎ置くことの無いようにすること。
- 舟引き道をいつも差支えないように整備しておくこと。
2.破船・難船の場合、救助活動の協力を義務付ける。
- 遭難・強風・洪水発生の時には、早速助け船を出すこと。
- 破船の時には早速駆けつけ、荷物の損害を最小限にくい止めるようにすること。浮荷物は30分の1、沈み荷物は20分の1を協力者に差し上げること。
- 川辺に積置いた破船荷物は盗まれないよう村の名主が管理に立ち会うこと。
- 御廻米舟が難破した場合の弁償規定を定める。
年貢米を差出した村々が3分の2、舟方が3分の1とすること。
難破船の代わりの船(代船)は舟方が差出すこと。
3.幕府の年貢米(城米)川下げ運賃を定める(御米100俵に付き)。
- 車ヶ淵・長崎から酒田 6俵
- 船町から酒田 5俵半
- 寺津・本楯から酒田 5俵4分
- 羽入から酒田 5俵
- 谷地から酒田 4俵8分
- 貝塩・島大堀から酒田 4俵半
- 境ノ目から酒田 4俵
- 大石田から酒田 3俵
4.私領米(大名領)の運賃を定める。
- 幕府の年貢米(御城米)運賃より、100俵に付き1俵の割増とする
例 大石田から酒田は、城米(幕府米)の運賃は3俵のところ蔵米(大名米)の運賃は4俵となる
虹ヶ丘より最上川を望む
執筆者 小山 義雄氏
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