おおいしだものがたり 第百六十二話 惣町(そうまち)大石田17
更新日:2016年3月25日
惣町大石田
9.出羽三山参詣と大石田
(2)宿泊、乗船
「導者目録」とは導者の町通過にともなう収支決算書であり、現在町資料館に38冊保存されている。これらの資料によると大石田町に何人程の宿泊・乗船者があっただろうか。
元禄15年の丑年には17,770人が訪れたと記している。丑年に登拝すると普通の年の2倍の御利益があるという信仰があったので特に多かったものと思われる。以下の数字は1年間に訪れた導者人数を集計したものである。
- 元禄期
6,000人(元禄10年の約3分の1) - 寛保・延享期
2,400人(寛保元年から延享2年までの平均) - 寛政期
2,000人(5年から12年までの平均) - 文化・文政期
1,000人(文政2年からは来町人数の記録なく、11貫文の収入のみ記載)
寛保・延享の頃まで3,000人近くの導者数は、半分にまで減少したのは三山参詣のみでなく全国的な傾向であると新城常三氏は述べている。文政2年の目録から人数記載のないのは導者数の減少によるものと思われる。
それはともかくとして導者収益は多分の収益であり、惣町運営にあてたものである。このため、導者の世話は、個人でなく惣町として行うこととした。今でいう町営である。
導者が参詣に来るシーズン近くになるとその準備のため惣町役人が会議をもち、色んな取り決めを行う。次の物は明和6年のものである。この年は丑年にあたるので早めの4月10日に相談をし、次のようなことを定めている。
(前文略)
- 座敷30畳以上、ほかに台所・せんばい・料理の間・働く者の部屋・水屋
(主食をつくる所か)・やわらのべ場 - 料金の取り立ての2畳・3畳
- さしかやをいたすべきこと(蚊を防ぐ かや)
- 飯ひつ6つ・汁ひさけ5つ・たばこぼん5つ
- 手水たらい・せんそくたらい準備すること
- 雪隠2つきれいにすること。
- 長あんどう宿印立ておくこと。
- 送りちょうちん船場へ建てること。
- 敷物きれい、畳不足の所へは、すが畳敷くこと。
- 朝より茶せんじおき、茶わん20人分準備のこと。
(全部で27項目あるが他は略する。
なお、せんばい・やわらのべの意味が不明である。食事の献立は夕食の場合でないかと思われるのが次のようである。
一、なます 干大根・のり
一、汁こまごまとうふ・青菜
一、平(椀)はんぺいとうふ・からし
一、上白餅(やわら)主食のようである
さて、一泊した翌早朝うす暗い内に出登する。乗船するためには「船賃定法」にのっとって乗船させた。元禄・享保期頃は「導者船」と呼び40人から50人も乗せたものである。明和・安永期になると乗船者数20人になり、この船を3人で運転するので3人乗船と称した。つまり導者数減少によって船の小型化にするのである。
明和6年の20人乗り船の場合、舟方へは1,260文である。当時の乗船賃は1人90文であるから、定数いっぱい20人乗れば1,800文である。540文の差が惣町の利益となる宿泊と乗船はセットになっており、2割から2割5分の利益を得た。なお、乗船のみはできなく、乗船すれば宿泊もするという定法でセットになっている。
執筆者 清水 助太郎氏
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