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おおいしだものがたり 第七十一話 黒滝地内で出土した古銭について

更新日:2016年3月25日

 昭和38年7月26日、町内黒滝地内北側の水田の山腹から、故木村新一氏(当時35歳)が排水作業中、土の中から1,000枚以上の古銭を発見しました。(写真参照)

 当時の「山形新聞(昭和38年7月29日付夕刊)」の記事を要約(故木村氏の御子息木村栄一氏の助言も含む)すると、古銭を発見した時の状況は次のようになります。当時舟大工であった木村新一氏は、7月26日の朝、自宅裏にある水田で排水作業中、水路の脇にあたる山腹の土の中で、木箱(箱は腐っていたという)に入った直径2.5センチ、長さ30センチほどの黒い棒のような物を3本見つけました。掘り起こしてみたところ、銅貨を重ね糸で束ねた緡(さし)銭で、重さは4.3キロあったそうです。

 つまり、土の中に緡(さし)銭3本(1貫文余り)を箱に入れて、並べて埋蔵したという状況になります。出土したこの古銭は、発見者である木村家で所有していましたが、平成9年に同地区にある向川寺に一括して寄付され、現在は町立歴史民俗資料館に保管されています。

 出土した古銭は、唐銭が、開基通宝と乾元重寶という2種類の貨幣63枚、北宋銭が、宋通元宝という貨幣から政和通宝という貨幣までの26種類985枚、南宋銭が、淳熙元宝という貨幣から景定元宝という貨幣まで5種類11枚、磨り減ったり腐ったりして字体が不明な物が36枚、合計すると1,095枚にもなります。時代別の割合を見ると、唐銭が5.7%、北宋銭が90.0%、南宋銭が1.0%、不詳銭が3.3%と、圧倒的に北宋銭が多く、次いで唐銭、南宋銭となります。また、南宋銭が1%しか確認できず、元や明以降の貨幣は見られません。

 このようなことから、向川寺開創当時の黒滝地区には既に村があり、1,000枚以上の貨幣を蓄えられる者が存在していたということが考えられます。しかも、向川寺裏山に館跡(楯跡)が現在でも明確に確認でき、向川寺の寺伝によれば、当該館主が永和3年(1377年)に開山した向川寺の開基者(寺院建立の一番の協力者)とされています。出土した古銭の存在が、館主の古さを証明することとなり、遅くても南北朝期以前までさかのぼる可能性が高く、場合によっては、当該館主が向川寺の外護者(支援者)であった可能性があります。

 この古銭の出土によって、これまで謎とされていた大石田の中世史に、一つの手がかりを与えてくれる貴重な資料と考えられています。


黒田基地内の古銭出土地(昭和38年)


出土した古銭(昭和38年)※写真は木村栄一氏提供

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