おおいしだものがたり 第五十五話 貴重な民具・火消しの団扇(うちわ)について
更新日:2016年3月25日
纏と火消し団扇
昭和63年秋、品川区立品川歴史館の館長児玉幸多博士(元学習院大学学長)が町立歴史民俗資料館に来館されました。その折、聴禽書屋内に収蔵展示していた火消しの大団扇(写真)に目を留められました。「火消し団扇」というのは、江戸時代に纏(まとい)が普及する前に、火事の際に火の粉が建物の屋根に飛んでくるのを払って類焼を防いだ道具です。後日、資料館に「火消しの団扇自体は、あちこちの史料に見られるが、ちゃんと現存しているものはほとんどなく、大変貴重なもので、全国で唯一の火消し団扇である可能性がある」という評価の電話をいただきました。その後、現在まで火消し団扇に関する新たな情報はありませんので、大変貴重な民具として注目されています。
この団扇は、昭和55年に、町内四日町の二藤部正雄氏から2枚寄贈を受けたものです。「広報おおいしだ」昭和51年2月号の表紙に、同家の団扇のことが詳しく紹介されています。
大ウチワ
消防力が発達していなかった頃、火の粉を払うために使われたと伝えられている大ウチワ3本が、四日町の二藤部喜一郎さん方に保存されています。
この大ウチワは、1本の竹でできており、はりあわせた和紙に防水のために豆ガキの”しぶ”を塗ったもので、大きさは、幅が約1メートル、縦が1.5メートルで、立てかけると3メートルにもなります。
二藤部家は、最上川舟運時代船問屋であったといわれ、その時代に作られたものだということですから、今から200年以上も前のものということになります(以下略)
江戸時代、大石田では、惣町が消防組織として機能していましたが、当時の記録の中に、火消し団扇のことが記されている史料があります。今から237年前の明和4年8月6日の記事で、「先日の火事の際に火消し団扇がこわれたため、新規に6枚こしらえることとなり、銭千文で利助方へ依頼した(火消し団扇1枚の値段は約167文となる)」と記されています。つまり、大石田では、間違いなく火消しの団扇が製作・使用されていたことがわかります。
以上のことから、この火消し団扇は、大石田の歴史・民俗を知るうえで、特に貴重な民具であるといえます。
火消し団扇のことが記されている史料
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