大石田町について
大石田町はこんな町です
舟運の歴史と文化が薫るまち
大石田町は山形県のほぼ中央に位置し、面積約80平方キロメートル、人口は約7,000人の町です。
町の中央を南北に最上川が流れ、最上川三難所(碁点・三河瀬・隼)の下流にある大石田は、陸路と水路の接点という地の利から、町の中心部はかつて「大石田河岸」とよばれ、最上川舟運最大の舟着場として栄えました。
最上川沿いには、舟運文化を偲ばせる白い塀を描いた特殊堤防が作られているほか、旧家には蔵や江戸時代から伝わるお雛様などが残り、今も当時の名残をとどめています。
水と緑の豊かな景観に恵まれた大石田には、元禄年間に松尾芭蕉が訪れ、その足跡を追って正岡子規や齋藤茂吉などの文人が、また、金山平三や小松均ら多くの画家が足を運んでいます。
齋藤茂太氏 新町発足45周年記念特別寄稿(平成12年)
環境省かおり風景100選「大石田町そばの里」
平地でも2メートルほどにもなる冬の積雪がもたらす豊かな水と、夏の昼夜の大きな寒暖差を生かした米、すいか、そばの生産が盛んです。
中でも、玄そばの生産量は県内トップクラス。寒暖差によってデンプンの蓄積が多くなり、豊かな風味を生むといわれています。
明治時代に、町内の来迎寺地区に伝来した「来迎寺在来」や、山あいの次年子地区で作られる地そばなど、個性的で風味豊かなそばを、絶えることなく栽培し守り継いでいます。
町内には十数軒の手打ちそば屋が軒を連ね、休日には県内外から多くの方が、大石田ならではのそばを求めて足を運びます。平成13年には環境省かおり風景100選に「大石田町そばの里」が選ばれています。
新そばまつり
美味しいそばの条件は「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の三拍子がそろうこと。この三たてに「採れたて」が加わる新そばのシーズンに新そばまつりを開催し、大石田のそばを振る舞います。使用するそばは大石田町の固有品種「来迎寺在来」。他では味わうことができないこのそばを、新そばまつりのために大切に育てています。
ひいなの隠れ里
かつて最上川舟運最大の船着場だった大石田。江戸期になると西回り航路の整備により、上方との文物の交流が活発になります。大石田から米や紅花が運ばれ、その返りに京都、大阪から優美な「おひなさま」がもたらされました。これらの「おひなさま」は各家庭で大切に守り継がれてきました。
大石田ひなまつりは各家庭に飾られた「おひなさま」を見てまわる昔ながらの「おひなみ」という形式です。
里の雪もようやく解けて遅い春がやってきた大石田の各家庭で、くじら餅や漬け物などの郷土料理で大石田流のおもてなしを受けながら、ゆっくりと「おひなさま」をご覧いただけます。
大石田まつり
大石田まつり「最上川花火大会」(8月16日)
最上川に架かる「大橋」の完成を祝い始まった約90年の歴史を持つ大石田最大の伝統行事です。
その年に成人を迎えた若者による「成人神輿」や神輿団体による勇壮な神輿渡御が行われます。また、数千の灯篭が流れる中、大型花火を中心とした約3,000発の花火が打ち上がります。観覧場所と打ち上げ場所が近く、まるで自分の真上で花火が開いているような感覚になります。記念花火やスターマイン、創造花火など変化にとんだ打ち上げの最後を飾るのは、日本一の町民号「20号玉(2尺玉)10連発」。開花時の直径が450mを超える大型花火が次々に打ち上がる光景は感動間違いなしです。
大石田まつり「維新祭」(8月15日)
最上川花火大会の前夜祭として、JR大石田駅前広場で開催される維新祭。町民組織「大石田まつりを10倍楽しくする会」が企画・運営するまつりです。花笠踊り、すずめ踊り、徳内ばやし、阿波踊りなど南東北を代表する踊りや太鼓の団体が集結し、華やかな競演が繰り広げられます。
首都圏大石田会
大石田町をもっと多くの皆さんに応援していただきたいという思いで、首都圏に在住する大石田町出身の方や大石田町を愛する方々で組織している「首都圏大石田会」があります。首都圏を中心に活動していますが、秋にはふるさと大石田町を満喫する「ふるさと訪問」も行われます。
大石田町の出身の方、家族が大石田町出身の方はもちろん、「大石田町が好きな方」ならどなたでも入会できます。