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おおいしだものがたり 第八十六話 駒籠楯跡の発掘調査について

更新日:2016年3月25日

 平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』という書物の「諸国駅伝馬条」の中で、「野後(のじり)」という駅に「駅馬を10匹、伝馬を3匹、船を5隻置いた」という記述があります。「駅」は、平安時代に都からの命令を伝令によって各国に伝える際、その道筋に置かれた中継ポイントで、全国でも現在の山形県と秋田県に当たる出羽国(でわのくに)だけに船を配備した「水駅」がありました。「野後駅」は船が5隻配備された水駅で、この「野後駅」があった場所が、最上川と野尻川の合流点にあたる駒籠地区の駒籠楯跡だと考えられてきました。

 大石田町教育委員会は、平成10年にこの駒籠楯跡の発掘調査を行いました。この調査では、中世の駒籠楯の築造以前の平安時代からの柱穴や土器があることが確認され、おおいしだものがたり第5話『交通手段として注目された最上川 古代の水駅「野後」』でも紹介しました。

 今回、山形県教育委員会は、9月18日から28日にかけて、町教育委員会の調査結果をもとに、駒籠に本当に「駅」があったのかを400平方メートルの範囲を地下30センチメートルほど掘削して調査を行いました。調査の結果、方向がそろった大きな柱をもつ、1200年前頃(8世紀から9世紀)の平安時代の建物群が発見されました。この建物のうちいくつかは、廂(ひさし)のある構造から、格の高い建物だったことがわかります。また、建物の方向の変化から、少なくとも3回は建て替えられていることがわかりました。このほか、建物と方向がそろっている道路の跡とみられるものや、カマドのある竪穴住居も見つかりました。これほどの建物群は北村山地域では発見されておらず大変な発見であり、普通の集落ではなく、「駅」であった可能性が高いと考えられます。

 9月27日の現地説明会では、駒籠地区民など20人ほどが集まり、今回調査された内容について説明を聞きました。この駒籠楯跡は、縄文時代から古代、中世、そして現在に至るまでの駒籠の歴史が残っている遺跡であり、できるだけ元のまま残せるようにと、掘削は必要最低限に行われました。発掘調査は来年以降も調査区を移し継続して行われる予定で、更なる発見が期待されています。


駒籠楯跡の掘削作業の様子


発掘された建物の柱跡


9月27日の現地説明会の様子

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総務課 総務グループ
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地
電話:0237-35-2111 ファックス:0237-35-2118

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