おおいしだものがたり 第百六十三話 惣町(そうまち)大石田18
更新日:2016年3月25日
惣町大石田
9.出羽三山参詣と大石田
(3)宿泊場所と導者利益の配分
宿は3番としており、新町の喜宝院、愛宕町の来迎院とあと1か所あるが、この一つがどこであるのか不明である。また多人数の場合は4番、つまり4か所もあった。例えば安永3年には約3,400人である。仮に30日で割ると1日約113人となる。一軒30人ほどであるので3から4か所で宿泊可能ではなかっただろうか。宿泊人数は参詣のガイドがいるので前もって連絡されており、準備をしたのでなかろうか。今夜は喜宝院、2番の翌日は来迎院・3番は四日町と順ぐり当番制として運営されたと思われる。導者関係資料に「日代り導者帳」という名称のものがあるのだが残念ながら見当たらない。恐らく当番宿で導者数・料金などを記録し、次の当番宿へと回した帳簿なのではあるまいか。
さて、一泊し翌朝下るのであるが、「運賃定法」に基づいて乗船させた。元禄・享保期は「導者船」と呼び40人から50人も乗船させたのであるが、明和・安永期になると2人乗船や3人乗船と小型化してしまう。明和6年の20人乗定数の場合は舟方(舟持・船頭・水夫(かこ))への支払いが1,260文である。この当時の運賃は一人90文であるから1,800文の収入となる。540文の利益である。2人乗・3人乗船とは2人・3人で運航する意味である。
寛保元年の導者目録を例にとると、次のようになる。導者数は2,414人、収入43貫960文、これより惣町運営費15貫980文を差し引くと、27貫980文が残る。この金額を惣町百姓134軒で割ると、約208文となり一軒前の百姓の配当金となる。
宝暦11年惣町軒数は375軒、その内168軒約45%が百姓身分で配当金を受け取ることができ、残りの207軒は名子・水呑といわれ百姓身分にないために配当金は受け取れないこととなる。これは家の間口が一間を一軒前と称し、二藤部兵右衛門のごときは5軒前であり、5倍の金額を受け取ることとなる。赤字の場合は逆に5倍の金額を徴収されることとなる。
この利益に目をつけて惣町の中から請負したいという願い所が提出されているが却下されている。ところが明和7年と安永7年に大変な問題が発生した。羽黒山から大石田へ出張中の山伏から、大石田を通らないで尾花沢を陸路通り清水にぬけ、そこで乗船させるという通路変更の知らせがきた。その理由として一つは乗船しようとする導者に船がないということ。二つにはすぐに乗船したいなら増運賃を請求されるという。この問題の対策のため惣町役人は再三の協議を重ね、今後は増運賃を取らないこと、一人乗りと二人乗りの小船を多く造って待ち船をさせない。また、船頭や水夫を町で抱えておくこととして、再三羽黒山へ運動を行った。このような問題はなぜ起きたのか。それは前述したが導者人数減少によってである。
執筆者 清水 助太郎氏
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