おおいしだものがたり 第二十一話 大切にしたい石造文化財について
更新日:2016年3月25日
大石田町内には、石仏や石碑、記念碑などの石造文化財が200基以上あります。どれも、立てられた経過や民間信仰、当時の世相等が理解される大切な文化財です。今回は、その中でも注目されている石造文化財(歴史資料)3件を紹介します。
1.上ノ原庚申塔(町登録有形文化財)
上ノ原庚申塔
これは、東町の跨線橋を渡り、旧道を尾花沢の方へ20メートルほど行った所から斜め右に入った旧街道沿いに、100メートルほど東に行った左手の林の中にあります。「庚申塔」の刻字から明和元年(1764年)の庚申の年に建立されたことがわかります。石碑に文字だけを刻んだ庚申塔は県内でも数多く見られますが、青面金剛(しょうめんこんごう)の像容が刻まれた庚申塔は県北部では数少なく、価値あるものであり、民間信仰を知る上でもたいへん貴重です。
この石碑は、町登録天然記念物である上ノ原の大ハリギリの根元に立て掛けたようにして立碑しており、そこは、かつて大石田村と尾花沢村との村境でした。
2.今宿の道標(町登録有形文化財)
今宿の道標
これは、羽州街道の、現「鈴の湯」の所から今宿に向かうバチバミ地内にある大石田方面と今宿方面とに分かれる三叉路にあったと思われますが、現在はこの三叉路よりも2メートルほど東の道路脇に寄せられて立碑しています。
この道標は、正面右側に「右 患いした」左側に「左 いましく」とあり、左側下に「文九郎」と刻まれています。高さ35センチメートル、幅は大石田側35センチメートル、今宿側24センチメートルの大きさで、立てられたのは江戸時代であろうと推測されています。
大石田町において道標として現存するのはこれだけであり、当時を偲び、当時を語る文化財として大切なものです。
3.新山寺入植記念碑(新山寺開拓関係資料の内、町登録有形文化財)
新山寺入植記念碑
昭和20年10月に東村山郡山寺等から、終戦に伴う復員者、引揚者、離職者を中心に入植し、新山寺農事実行組合、そして開拓農業協同組合を設立して現在の新山寺を築き上げるまでの歩んできた記録として、諸帳簿220点余りの開拓史資料が揃って現存しており、新山寺入植記念碑とともに貴重な歴史資料です。
新山寺入植記念碑は、昭和22年10月に建立され、正面に「入植記念碑」、裏面右側の銅板に昭和20年入植者の氏名が刻まれています。現在、新山寺入植記念碑の左側に並んで立てられているもう一つの記念碑は、明治39年にこの地域を開墾した関係者が建立したもので、これも裏面に関係者氏名と所有面積が刻まれています。この記念碑は、新山寺開拓史資料と併せ、たいへん貴重な又化財です。
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