おおいしだものがたり 第七十四話 戦前の郷土調査について
更新日:2016年3月25日
今から77年前の昭和4年(1929年)の世界恐慌以来、農村が不況にみまわれると、郷土教育は政府の農村振興策や自力更生運動と結びついて愛郷心や愛国心の育成に貢献すべく奨励されました。文部省は、昭和5年(1930年)から各師範学校への郷土研究施設費の交付や郷土教育講習会を主催しました。
一方教育現場では、郷土の貧窮をいかにして救うかという観点から、学校でも郷土の更生に一役を果たすべく郷土教育を実施しようとしました。山形県学務課は、昭和5年に県内各小学校に命じて徹底的な郷土調査を行わせています。(『山形県史 第5巻』による)
大石田町では、町内各小学校で郷土調査が行われ、郷土調査に関する記録が今でも残っております。今回は、町登録文化財として登録されている大石田尋常高等小学校と田沢尋常小学校の郷土調査について紹介します。
大石田尋常高等小学校の郷土調査は、既に昭和3年(1928年)8月に「郷土傳説の研究」がまとめられています。これは、高等科2学年乙組担任の村岡秀次郎訓導(先生)が、僧侶や神官、古老から、受け持ちの児童たちが聞き書きしたものを清書してまとめ上げたものです。内容は、町や村の地名の起源にはじまり、最上三十三観音の一つである西光寺観音の縁起や仁王門、神社仏閣、その他の伝説が書き記されており、36項目にわたっています。
翌昭和4年の「大石田屋號調査」は、高等科2学年女子児童の夏休みの宿題をそのまま綴じ込んだもので、屋号、戸主名、町名、職業が記されています。四日町41軒、上ノ原46軒、門前19軒、二丁目14軒、川端13軒、東町24軒、本町39軒の合計196軒について調査されており、屋号のほかに町内ごとの職業等を知ることができます。
その後、本格的な郷土調査が行われ、昭和8年(1933年)8月に「郷土調査 歴史ノ部」、そして9月には「郷土調査 地理博物ノ部」としてまとまりました。郷土調査を行う中で、大石田尋常高等小学校内に「郷土室」の新設の機運が高まり、昭和8年春に、郷土室が旧公民学校の職員室に設置されました。同校では、『町報』で「郷土室を成長させて下さい」と呼びかけ、郷土室の充実が図られました。この郷土調査の結果が、昭和15年(1940年)に発刊された『大石田町誌』編纂に大きく生かされています。
田沢尋常小学校の郷土調査は、黒沼松五郎訓導の企画で、昭和初期に当時の理科の教科書にある動植物のうち、田沢学区の2500分の1の地図に、絵と動植物が教科書に出てくる学年とを入れて、イラスト状に示し、尋常科用と高等科用の二幅の大きな掛け軸として制作されました。学校から500メートルずつの同心円が赤で記入されています。高等科用の掛け軸には、小菅地内に「かわうそ」がいたと記録されています。
なお、黒沼訓導は、本図制作以前に、学区内の植物調査も行っており、その際に発見された樹木が、田沢下の川のイヌザクラ(町指定天然記念物)です。
大石田小学校の郷土調査資料(町登録文化財)
田沢小学校の「理科書に現れた自然物(郷土)の分布図」(高等科用、町登録文化財)
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