おおいしだものがたり 第百二十一話 「最上川舟運の話」 その35.幕府の直差配と船方役所の配置(3)
更新日:2016年3月25日
幕府直差配の背景
4.最上川舟運の入札請負金額がその都度高騰し、経営が圧迫される
最上川を通す荷物の積み上げ・積み下げをする舟運を、競争入札によって請負うようにしたのは江戸中期からである。競争によって落札した金額(冥加金)を1年ごとに幕府に上納する。その代わりとして請負差配権を得て、支払った冥加金を取り戻すために、舟運荷物の取り扱い手数料を取ってそれに充てるという仕組みである。取り扱い荷物が多ければ多いほど利益が上がる。また、冥加金が安ければ安いほど利益が上がることになる。
請負冥加金の変遷を見てみよう。
宝暦10年(1760年) 62両2分 請負差配人 上郷8人 横山勘兵衛 大石田8人 六右衛門外
明和3年(1766年) 83両1分 請負差配人 谷地 勘右エ門 上州 太左衛門
明和5年(1768年) 202両2分 請負差配人 横山 勘兵衛・勘助
安永7年(1772年) 230両 請負差配人 漆山 七左衛門
このように、請負の冥加金は、入札の度毎に跳ね上がり、船持の経営が圧迫され、それに見合う程の利益を上げることが困難になってくる。
安永7年の収支決算を見ると以下の通りである(大石田本町、富樫家文書)
- 支出 金230両(請負年季の10年間は、毎年230両ずつの上納冥加金)
金80両(船会所の必要諸経費) - 収入 金160両(差配料及び運賃の十分の一の役金を合わせて金160両)
- 差引 金150両(赤字経営)
この赤字経営から脱却するために、請負人たちは不正を働き、訴訟問題が頻繁に起こる。一方、赤字経営に耐え兼ねて、舟運事業から手を引く船持が増え、船数はだんだんと減ってくる。
5.甚だしい船数の減少(大石田本町富樫家文書「羽州最上川通船相糺候書付」)
享保7年(1722年) 159艘の減(以前と比較して)
延享4年(1747年) 76艘の減
宝暦8年(1758年) 39艘の減
安永7年(1772年) 25艘の減
天明8年(1788年) 9艘の減
このように、減船は余儀なくされ、幕府の年貢米を江戸・大坂への廻米にも事欠く事態に陥ってくる。もはや、民間による舟運経営ははなはだ難しい状況に追い込まれてくるようになる。
船着場のあたり
執筆者 小山 義雄氏
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